茨城空港にて。

ついにきました。
茨城空港。
どきどきしています。
…飛行機に乗れるから、では、ありません。

震災当時、天井が落ちてくるシーンが何度も放送された、手荷物検査場の前。思ったよりも狭い空間。 今は、吊り天井はなく、むき出しなっていた。

震災当時、天井が落ちてくるシーンが何度も放送された、手荷物検査場の前。思ったよりも狭い空間。
今は、吊り天井はなく、むき出しなっていた。

2011年3月、たしか16日の飛行機に私は乗るはずでした。
小学1年生の時新校舎が建てられた記念に、全校児童で埋めたタイムカプセルの開封式に出席するためです。
久しぶりの同窓会も開かれることになっており、結婚してから初めて参加することにしていたのです。

しかし、あの地震。

一緒にいた家族と支え合わなければ立っていられないほどの揺れを体験はしたものの、幸いにして被害はほんのわずかで夕方にはすべてのライフラインが復旧していました。
こたつに入って各地の甚大な被害を知り、そして茨城空港の天井が落ちるシーンを眺めていました。
でも、なんだか他人事で、「天井落ちたくらいなら飛行機は飛ぶんじゃないか」とも思っていました。

一方でいつまでも続く余震。娘は最初こそ明るくしていましたが、寝るときにはそばにいないと眠れない状態でした。いつでも避難できるように、車に着替えの入ったバッグを乗せている状態。
そんな状態で、一人で帰省するのはどうかなとおもいました。
帰省できたとしても、こちらに帰ってこられるかも判らない、そんなことを思っていたときに茨城空港が使用不能だということを知りました。
ものすごくがっかりした気持ちと、何となくほっとした気持ちと。

ホントは行きたかったけど、飛行機が飛ばないんじゃねぇ、という、いいわけが出来ることで、こちらにとどまる気持ちを固めたような感じでした、

あれから4度目の夏。
震災以降何度か帰省をしたし、友達に会ったりもしたので、今更感慨深いわけではないのですが。

こんかい、あのとき以来の同窓会が開かれます。
今回も一人での帰省。たまたま、安いチケットを確保できたので飛行機で帰ることにしました。それも、あのときと一緒。
単なる偶然、といってしまえばそうなのですが、実は今日ここに来るまで少々緊張していました。

また、あのときみたいなことにならなければいいけど。

バカバカしいですが、こうして空港で搭乗を待ちながら、、ああ、なにもおこらなかった、と、ホッとしています。

小さな小さな、私の震災エピソードでした。

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