縁は異なもの。

「縁は異なもの味なもの」という言葉は、本来は男女の縁についての言葉だそうです。
お店を始めてもうすぐ11年。男女の、というご縁はともかく(当たり前・笑)様々なお客様との不思議なご縁を感じながらここまで続けてこられました。
開店同時はおねしょをしていた小さな男の子が、今ではたくましい好青年へと成長していたり。
お母さんになった人、おじいちゃんになった人、遠くへ引っ越した方、それこそ「縁は異なもの」で矢祭で暮らし始めた方。
はるばる当店を訪ねてこられた方も大勢いらっしゃいます。
そういうご縁の積み重ねが、今なんだなあとしみじみ思います。

昨日いらっしゃった団体さんは年に一度、この時期にいらっしゃいます。
その度「娘さんは元気かな」と声をかけてくださいます。
実は、まだ娘がやっと歩ける頃(そして、物おじしない赤ちゃんから子供へ成長するころ)、とことこ客席にやってきたのだそう。
人見知りもせずお客様の膝の上に座り、長いことお客様のポケットから滑り落ちたキーホルダーのおもちゃで遊ばせてもらったのでした。
お店としては、まだ小さかったとはいえ娘が図々しくもお客様の席に座ったというのは大変恥ずかしく申し訳ないことのですが、それがご縁となり、毎年のご来店の度に娘の成長を喜んでくださっています。
多分、ご来店の楽しみの半分以上は、娘に会うことなのかもしれません。
今娘は、成長し、ほとんどお客様の席に遊びに行くこともなく(知り合いがいれば別ですが、それでも随分恥ずかしそうに遠慮がちになりました)そのようなご縁でお客様とお話ができる機会はほとんどありません。
そう思うと、なんだか不思議でありがたいご縁だなあと思っています。

IMAG1908左の写真は矢祭町の広報誌「広報やまつり 8月号」の表紙です。
さかな家店主が「おいこれ描いた田中さんって、あの、田中さんじゃないのか?」と見せてくれました。
実は数年前、facebookでいきなり友達申請をしてきた田中さん。顔も名前も全く覚えがなくいったいどうしようかと思った頃にメッセージが届きました。
「実は私は矢祭に住んでいたのですが、病気療養のため現在は東京に来ている。矢祭を懐かしく思う気持ちからあなたにたどり着きました。
実は何度か家族でお店にも足を運んだことがあるのです」
お店にいらした時の記憶も定かではなかったのですが、矢祭で暮らしていらした方が懐かしく思ってくださるのならと、友達になりました。
普段はいくら矢祭在住でも、普段交流がない方とはfacebook上でもお友達にはならないようにしています。
それが自分と自分の友達の個人情報を守るためだと思うからです。
あの時、どうしてすんなり友達申請を受け入れたのか、今考えると不思議ですがやっぱりこれも「ご縁」なのでしょう。
その後、さかな家facebookページもいいね!してくださり、その後素敵なレビューも残してくださいました。
素晴らしい矢祭町役場周辺の絵。でも残念なことにそこには「故・田中○○さん作 2014年6月寄贈」と。
このような形で知ることになるとは、と、正直ショックです。
でも、このような形でも田中さんの旅立ちを知ることができたことが何よりのご縁なのかもしれません。
田中さん、本当にいろいろありがとうございました。
どうぞ安らかに。矢祭のことを最後まで大切に思ってくださってありがとうございました。

これからも、様々なご縁を大切にしたいな、と改めて強く思っている夜です。

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