102&20 思い出に残るひと時を過ごせました。(その1) では、イベント全体の様子をご紹介しました。
こちらは裏話というか、このイベントに込めた思いについて記していきたいと思います。
さかな家は20周年の節目の年はともかく、丸安魚店の創業記念の102年は実に中途半端。
でも、これには訳があったのです。それは、「丸安魚店創業の謎」。
それについてはざっくりこちら→102&20 記念イベントを行います(参加者募集) でもご紹介しましたが、その謎に迫るきっかけは2020年こちらの写真がでてきたことでした。
猪苗代湖南岸の曾祖母の実家のあった場所に現在も住んでいる幸則さん(曾祖母の弟の子)を訪ね、この写真についてとその時代のいろんな話を聞かせていただくことができました。
それまで店主の父や叔父叔母、大叔父大叔母などから聞いていた話と違う角度で、幸則さんからかなり詳細な話を聞けたこと、更にそれと同時期に店主の祖父(丸安魚店2代目)の古い戸籍謄本が出てきたこともあって、創業当時のことを調べてみようと思ったのでした。
曾祖母の原戸籍をとって、幸則さんやその他伝え聞いた古い話を照らし合わせて
これによって定めた丸安魚店の創業日は大正10年11月11日。
祖父の誕生日です。まだ元気だったら今年102歳の誕生日を迎えるところです。
…そんなことがありまして。
今回のイベントのテーマは「これまでも これからも」にしました。
感謝の気持ちと、これからもよろしくという気持ち。
これまで受け継がれてきたものと、これから伝えていきたい思い。
そんなものを感じられるひと時になったらなと考えました。
その一つが、リーフレット。
矢祭のような辺境の山深い場所において、海の魚を扱う鮮魚店が100年前から同じ場所で続いているということは、矢祭で100年間海の魚を食べる文化が根付いていたということ。
当時は冷蔵庫も一般的でなく、仕入れるために今当たり前に使っている自動車もない時代。
そこから始まって夏にカツオが大人気なのも、新ニンニクが収穫できるころになると「カツオでこのニンニクが食べたい!」と思うのも、きっとうちだけに限らずいくつもの魚屋さんが矢祭の暮らしに根付いていたからなんだろうなあと思うのです。
102年前から今に至るまでお店がここにあって、地域の人たちの暮らしと密接にかかわっている。
それってすごいことだなあと。
実は近隣の古くからのお店の中には100年を優に超える歴史をつないでいるところは少なくありません。
むしろ「え?102年でお祝いだって?そんな仰々しくやるほどの年数じゃないのに」と思われてもおかしくないほど(これは言い過ぎか・笑)。
そういうお店がこの地域の暮らしを支え続け、お客さんもお店を支え続けてくださって今があるって、とっても素敵なことだなあと。そんな思いを共有するひとときにしたいなと思って今回の企画を考えました。
ささやかながらご用意した、今回のお土産。
こちらも長く矢祭に根付いている矢沢酒造店さんのお酒(または甘酒)と、丸越製菓さんにお願いして作っていただいた鯛の形の落雁。こちらは昔よく結婚式の引き出物に使われていたものを現在の暮らしに合わせて小さくしたものでご用意していただきました。
どちらも、矢祭で生まれ育ち、古くから今へと繋がっているものたちです。
古くから今へと、でいうと。
今回乗せていただいた「びゅうコースター風っこ」も。
なかなかのレトロぶり、でしょう?(笑)
2000年に運航を開始し、仙台周辺を中心に東京や長野、秋田、さらには北海道まで入線した経歴があるそうです。(車掌さんのアナウンスの前のオルゴールしかり、マイクの形しかり、もう懐かしさあふれます)
まもなく引退か、という話もあるとかないとか。今回のテーマに偶然にもピッタリな列車となりました。
そして、列車でうれしかった瞬間はこちら。
今回のイベントに参加してくださった、お子さんたち(の一部。座席で過ごしていらっしゃったお子さんたちもいらっしゃいました)。
これまで当店で企画したイベントのほとんどが、お酒に関するものだったということもありますが、たくさんのお子さんが参加してくださったことが何よりうれしかったです。
大人も子供も和気あいあいと列車の中での宴を楽しんでくださったことに、自分たちの未来を重ねられました。
これからも、うきうきとワクワクを提供できるお店として、地域に根を広げていきたいと思います。
今回のイベント、大変好評でした。また次回…できるといいな。
その時は皆さんぜひ奮ってご参加くださいね!
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