3ヶ月、たっちゃいました。
なんだかこうやって振り返ると、2011年の1月と2月はどうやって過ごしたのかすら思い出せない。
そもそも「1月2月ってあったっけ?」と言う感じ(笑)
本当は2ヶ月のときにも、今思っていることを何か残しておかなくちゃ、なんて事を思っていました。
そう思って、何度か「ひとりごと」を書きかけたけど、結局まとまりませんでした。
強く思うことがあるのに、それが形になって出てこなかったのです。
今。
ニュースで取り沙汰されていること、ネットで氾濫している情報など、以前ほど心が波立つことがなくなってきました。
良い情報も、最悪な情報も、収集しようと思ったらどこまでも手に入れられる今だからこそ、落ち着いて判断できる環境を作らなくちゃいけないんだろうなと思います。
さて、3ヶ月です。
前に進んだこともあるし、まったく何も変わらないこともあります。
お店は相変わらずですが、前よりなんとなく「濃く」なった気がします。
仕事の一つ一つが、と言うこともあるし、お客様の雰囲気が、と言うこともあるし。
お店の内に外に、「時間やチャンスを浪費するのはもったいない」って言う雰囲気が漂っているような。
お店の雰囲気も、3ヶ月間でさまざまに変わってきました。
震災直後はとにかく「食べる」と言うことが求められました。
「本日のセット」をお出しし、晩酌と言うより食事をご提供させていただいていました。
コンビニやスーパーなどが十分に機能していない頃です。
お客様との話題は、「ガソリンが手に入ったか」「職場は片付いたか」と言う話。
あの頃いらしてくださっていたお客様には、なんというか特別な気持ちがあります。
「同士」っていう感じです。
私たち(特に私ですが)の気持ちもゆらゆら不安定で、暇さえあれば携帯で情報を得ようとしていました。
その後、わずかながら「お酒のみに来たよ」と言うお客様がいらっしゃるようになりました。
野菜の出荷制限がかかるほんの少し前のことです。
最初の頃は、言い方は悪いけれど「逃亡者」がやってきたような雰囲気でした。
「お酒を飲み(歩く)なんて不謹慎かも」と言う雰囲気が、まだ少し残っていたからでしょう。
男性のお客様が多かったです。
飲んで騒ぐと言うよりも、ご友人といらして「これからどうする」と言うお話をしみじみされるお客様ばかりでした。
家族の前ではこぼせない愚痴を、ご友人とポツリポツリこぼしあうような雰囲気でした。
正直、明るい兆しがまったく見えない中でしたが、お客様からは感じるのは絶望感ではなく、「だからこそ今ふんばらなくちゃ」と言う強い思いでした。
その頃、ツイッターでこんなことをつぶやいていました。
私の周りに限ってのことかもしれないけど、電気がなくても不便なりにどうにか過ごせた人が多い。
でも、「地元の野菜が食べられなくなるのか?」という情報が流れたときの方がよっぽどショックが大きかったような。実は私もそう。
停電も、ガスや水道が使えなくても(これは矢祭ではなく周辺地域)、何も言わずじっと復旧の順番を待っていた人たち。
でも、「野菜がだめかもしれない」と言うことはかなり大きなショックを受けていました。
「俺は、食っちまうけどな」とニヤッと笑ったお客さんでさえ、「でも孫には食べさせられなくなるのかもな」とおっしゃるほどでした。
1ヶ月が過ぎ、2ヶ月になろうとする頃から、「これじゃいかん」と思い始めました。
矢祭町は、いや少なくとも「我が家」は地震による被害がまったくなかったのに、なんとなく「被災者モード」から抜け出せていなかったことに気が付いたのです。
そして、同じ頃同じように感じられた方が多かったのでしょうか。
今年のゴールデンウイークは、想像以上に忙しかった。
例年と比べればそうでもないかもしれないけれど、正直「静かに過ぎていくゴールデンウイーク」を想像していたので、お店の忙しさには正直驚きました。
少しずつ、遠くに行くようにもなりました。
地震の前は休みと言えば遠出していた私たちが、地震以降めっきり出歩かなくなりました。
余震があって、「万が一」なんて事を考えると小学校へ行っている娘から遠く離れないほうがいいんじゃないか、と思ったせいでもあります。
でも、正直なところ、「やっと精神的に立ち直ってきたのに、『被災地』を見て気持ちが揺らぐのが怖かった」と言う思いもありました。
中には「被害のひどいところを1度は見ておいた方が良い」とおっしゃった方もいらっしゃいます。
でも、私たちはそれができなかった。
初めて、所謂「津波・地震の被害」を目の当たりにしたのは、5月の末に近い頃でした。
今。
3ヶ月がたちました。
地震復興よりも、原発をどうするかということに話がシフトしてしまっているような今。
県内の放射線量に関しても、さまざまな考え方があります。
が、3ヶ月たって(本当はもっと前からだけど)思うことは、「自分が安心して生活できる方法を自ら選ぶこと」が何より大切だと思っています。
現状を安全と見るか、危険と見るかは人それぞれでしょう。
でも、少なくとも今私は矢祭で暮らせることに幸せを感じるし、ありがたいと思っています。
それは誰にも揺るがすことができない「事実」です。
それでいいんじゃないかな。
思いもかけず「さかな家のふくしま手ぬぐい」を作るチャンスに恵まれ、ただ今ご予約を承っております。
こんなことしかできない、こんなことでもしたい、と思いつつ、それでもなんとなく一歩進めたような気がしています。
義援金の送り先に「福島県」と「東北関東大震災障害者救援本部」を選んだのにはわけがあります。
今一番困っていらっしゃるのは、農業・漁業に携わる方々だろう。
そう思ったとき、県への義援金をまず思いつきました。
そして、その次思ったのは「一番声が届けにくい方々へ、わずかながらでも手を差し伸べられたら」と思ったのでした。
そんな時、耳が不自由な故に津波警報すら気づかず津波に巻き込まれた方や、生きるために必要な薬があるのにそれすら手に入りづらいと言う方、それに障害があるがために避難所にさえいけず倒壊しかかった自宅で暮らしている家族のことを知りました。
5月のイベントで乙武さんにお目にかかり、障害を持つが故の震災時の苦労・不安、そして不自由があることを知ったことも大きなきっかけでした。
手ぬぐいを通じて、小さな手を必要な方々に差し伸べられたらなと考えています。
3ヶ月がたちました。
もうそろそろ、元気な人は元気に笑って暮らしていかなくちゃいけない時期です。
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コメント
こんばんは。
すっかりご無沙汰しているうちに時の流れと共に…
この3か月は私自身にとっても今までの生き方を考えさせられるのに十分な時間でした。
何が大切なことなのか,とくと考えました。(詳細は差し控えます)
そしてまた,素敵な棚!
そしてまた,素敵な手ぬぐい!
近々そーっとうかがわなければなりませんね。ふふっ。
**aokiさま
こんばんは。いつもコメントありがとうございます。
とってもうれしいです。
あっという間の3ヶ月でした。
その間、娘は2年生になり、1輪車に(なんとなく)乗れる(風に)ようになり・・・
あっという間に。
そして、棚ですが。
そして、手ぬぐいですが。
気に入っていただけると思いますよ~
ただ、サプライズでいらっしゃるのなら、6月末か7月初旬をおすすめします。
その頃手ぬぐいが到着しているはずなので(笑)