運よく予定通り運動会が行われたので、繰り替え休業日を利用して娘も一緒です。
さかな家店主が料理の世界に入るときにお世話になったホテルの(当時)支配人さんが定年退職をされたので、当時のメンバーが集まる送別会。
私はどなたも結婚してからのお付き合いですが、傍から見ていてうらやましいほどの結束力というか団結力というか。
(そのあたりについて、以前書いたことがあります。コチラ)
最も強く結びついている(と、私が思っている)調理場の皆さんだけでなく、当時同じく働いていたホテル内の様々な人が集まったようです。
数年ぶりの再会という人も大勢いいて、「震災、大変だったね。今はどんな感じ?」と声を掛けられることもあったり。
連絡を取っていなくても、心配してくださっていた方が大勢いらっしゃったことに改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。
お世話になった方もこの街にはたくさんいるので、旅行というよりは帰省気分。
「いつもの喫茶店」と「いつもの焼肉屋」さんは、いつも幸せ気分になるだけでなく、何かしらものすごく深く勉強することがあります。
二つのお店の共通することは、「まっとうである」ということ。
真新しさとか、派手さとか、そういうところからはかけ離れているかもしれないけれど、「あるべき姿」を保つということに真正面に取り組んでいらっしゃいます。
たとえば、普通のプリン。たとえば、普通のカルビ。
「普通の」と言えるまでに、どれほどの手間暇がかかっているのだろう…と思うと、その仕事のきめ細かさに頭が下がる思いです。
「いつもの焼肉屋」さんは、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいているので、いつも仕事の合間や仕事終わりにいろいろお話をさせていただくのですが、今回も勉強になるお話を聞かせていただきました。
…なんて、頭で考えるのはこうして少し時間がたって気持ちに余裕ができてからのことで、実際にお店に伺うと心がわくわく幸せ気分になって夢中で食べてしまう、おいしいお店たちなのです(笑)
残念なこともありました。
さかな家店主が伊東で修行しているときによくお世話になったラーメン屋さんが、「貸店舗」になっていたこと。
体格が良くてお喋りなおかみさんと、体が小さく寡黙ながらきっちり仕事をしていた旦那さん。
伊東で巡業があった時に寄ったお相撲さんの写真が壁に貼ってあったのを覚えているのですが、「(お相撲さんが)入れるの?」と思えるほどの狭いお店。
ラーメン(お父さん担当)と餃子(おかみさん担当)はどれもおいしく、それこそ「まっとうな」お料理たちでした。
バタバタあわただしく食事をしようと入った時でさえ、食べるとなぜかほっとしたことをよく覚えています。
時々一緒に伺う私にも「あれ?今日来てたの?」なんて声をかけてくださったあのご夫婦。
本当は車を止めて写真を撮りたかったのですが、なんとなくそうするのがためらわれて車の中からそっと撮影。
せめて、お元気でいらっしゃったらよいのですが。
寂しいなあと思いながら、お店を後にしました。
少々強行軍ながらの、久々の伊東。
少しずつ時が流れ、みんな少しずつ変わっていました。
街中も、あったはずのものがなく、なかったはずのものができていたりして様変わりしていました。
一方で変わらずそこにあり続けるものもあります。
さかな家は、まだようやく10年ほどの店ですが、いつか矢祭に帰ってきた人たちに「ああ、ここは変わらないな」とほっとしていただける店になれたらいいなと思いながらの帰り道になりました。
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